寺の初詣ベビーカー自粛論争が過熱 寛容不寛容は誰のためのものか?おときた駿議員のブログで考えてみた

   

こんにちは!境子です!(*´∀`*)

 

社会福祉であったり

子育てであったり

 

日本には大きな

社会テーマがたくさんあります。

 

 

重要なテーマであるからこそ

みんなで考えていくべきですが

 

逆に重要がゆえに、人々の感情に

触れて炎上してしまうこともあります。

 

 

今回騒動になったベビーカー自粛

というのも、そのようなもので

あると言えるかもしれません。

 

 

某乙武さんのような人は、それを

ビジネスとして使っているのでしょう

から別として、今回の騒動の一つの

起点になっている

 

おときた駿都議会議員の場合

議員という立場ですから、まあ

言いたいことは色々あるのでしょうが

安易に騒動に乗っかってしまうことは

危険と言えるでしょう。

 

 

今回そのあたりの経緯から

寛容不寛容について少し考えてみました。

 

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この寺の初詣ベビーカー自粛騒動のおときた駿議員を起点にした部分の簡単な経緯

 

もともとベビーカーや車椅子など

施設や自治体、あるいは個人商店まで

どのような受け入れ体制をするか

というのは、社会全体の一つの

テーマではあると思います。

 

そんな大きな流れの中で

今回騒動になったのは

初詣のベビーカー自粛についてです。

 

 

この騒動の一つの起点になっていたのが

ブロガー都議会議員として最近知名度を

上げている、おときた駿議員のブログでした。

 

 

問題の記事はこちらです。

 

「初詣ベビーカー論争」に感じる、相変わらず少子化一直線な社会の不寛容さについて

 

 

内容としては、今年の初詣で乗蓮寺の

出した「ベビーカーご利用自粛のお願い」

という看板に対して起きた議論をテーマに

日本社会の子育ての不寛容を批判する内容です。

 

 

おときた駿議員が主に言いたいこと

信条や主義主張というのは

 

  • 定期的に現れるこうしたベビーカー論争を見ていて率直に私が抱くのは、なんと子育て世代にとって不寛容で不自由な社会なのかという想いです。
  • わが国が「子どもを産めば産むほど不自由になる社会」であること
  • (理想は)子どもを産めば産むほど自由になる社会である

 

本文中の

こういったことだとは思います。

 

 

本人もこの記事に対して

このようにツイートしています。

 

 

「不寛容で不自由」と問題提起をした

 

 

しかし

問題は不寛容かどうかのバロメータに

普通の社会の状態でない特殊事例の

人混みが尋常ではない有名な神社の

初詣を例として使ったことです。

 

もう、この時点で

一般論としては不適格です。

 

 

さらにまずいのは

軽率にもこの神社名前のの入った

ネットでの反応をまとめたリンクを

この話題の起点に使っていることです。

 

20170101 乗蓮寺 「ベビーカーご利用自粛のお願い」
https://togetter.com/li/1066768

 

このリンクは、私から言わせれば

「保育園落ちた日本死ね」レベルの

ゴミでしかなく、問題の起点になど

するのも汚らわしいと思うような内容です。

 

それを話題の起点にして

そのあとどのようにきれい事を

言っても、何も伝わってきません。

 

 

そして、なぜ乗蓮寺さんが

「ベビーカーご利用自粛のお願い」

などという看板を出さなければ

いけなかったのか。

 

そのことへ全く考えが至っておらず

思慮も足りない上に、明らかに

軽率にお寺の名前を使ったと

言わざるを得ません。

 

 

結局これらの騒動を受け

乗蓮寺さん側からは、別の取材で

このように経緯が語られることとなりました。

 

初詣「ベビーカー自粛」要請で大騒ぎ 「差別」批判へ寺側の意外な言い分

発端となったのは東京板橋区の乗蓮寺が「ベビーカーご利用自粛のお願い」の看板を出した、とツイートされたこと。乗蓮寺は2年前まではベビーカー優先の寺だった。看板を出したことであらぬ方向まで話題が沸騰していることに住職は頭を抱えている。

寺の住職によれば、2年前まではベビーカー、車椅子での参拝を優先させていて、専用通路を作り、係員を配置し安全に努めるという布陣を取っていた。ところが思わぬトラブルが起こる。ベビーカー1台にファミリーが5人、10人と付いてきて専用通路を通り参拝し始めたのだ。混んでいる時にはお参りするまで1時間待たなければならないため、それを見た参拝客が腹を立て「なんだあいつらは!!」と寺の担当者と小競り合いになった。

また、ベビーカーがあれば優遇される寺ということが知れ渡り、小学5年生くらいの子供をベビーカーに乗せて現れる親が相次ぐことになった。親は優先通路に入るとベビーカーをたたみ、降りた子供は敷地内を駆け回った。そこで寺は優先通路を通れるのは押している1人だけ、という制限を設けた。ところが、ファミリーは2手に分かれて参拝することになり、先に参拝を終えたベビーカー組の中には境内近くで合流のため待機する、ということが起こった。

そしてとうとう一昨年(2015年)、お年寄りがベビーカーに躓き、ベビーカーに抱き着く形で倒れてしまった。幸い軽傷で済んだのだがけが人を出したことには変わりがなく、「警察からの要請」もあり、昨年から「ベビーカーご利用自粛」の看板を出すことになった、という。取材に対し住職は、自分も孫をベビーカーに乗せて散歩に行くのが楽しみなため、自粛の看板を出すのはとても残念だった、としたうえで、ネット上で今回の件が「差別」や「少子化」問題になるのは想像もつかなかったし、それが寺に対する批判にも繋がっているとし頭を抱えていた。

引用:http://www.j-cast.com/2017/01/05287436.html

 

  • 元々ベビーカー優先のお寺だった
  • それを利用して不正をするファミリーが現れた
  • お年寄りがつまずいて怪我をする事故が起きた
  • 事故を受け警察から要請があった

 

これがお寺が不本意ながら看板を

立てるに至った経緯ですよ。

 

これを見ればいかにおときた駿議員が

このお寺を話題の起点にして不寛容を

説いたことが軽率だったか分かるでしょう。

 

 

見当違いな特殊な事例の個別案件を

例題にあげ、このように下手な炎上を

させることなど、むしろ寛容な社会の

ために足を引っ張ることにすらなりえます。

 

 

寛容不寛容は誰のためにあるのか?

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今回、寛容と不寛容についての

部分を特に指摘させてもらいます。

 

 

そもそも、寛容か不寛容か

なぜそんなことを考える

必要があるのでしょうか?

 

それは、人々にとって

より良い世の中にするためですよね。

 

 

そしてより良い世の中とは

どのようなものなのでしょうか?

 

より多くの人が幸せな世の中です。

 

 

つまり、寛容不寛容は、多くの人が

幸せになるための「手段」であり

「方法論の一つ」でしか無いのです。

 

 

重要な目的というのは

多くの人が幸せであるかどうか

であって、必ずしも寛容であること

ではないのです。

 

 

場合によっては

多くの人が幸せになるなら

不寛容でもいい可能性もある

ということです。

 

目的が達成されるのであれば

あくまで手段はどちらでもいいのです。

 

 

手段と目的が入れ替わることの危険性

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寛容不寛容はあくまで手段。

目的は多くの人が幸せになること。

 

こういった本質を勘違いして

あさっての方向に議論を

進めてしまう人がたまにいます。

 

主に左の方向を向いて

議論をしている人に多いですが。

 

 

実際には、寛容不寛容の話は

多くの場合にもちろん寛容の方が

いいということになるでしょう。

 

しかし、目的のためには

場合によってはそうでない場合も

あるかもしれない、というのが

目的を基準にした考え方です。

 

もし

手段と目的が入れ替わってしまうと

寛容は正義!不寛容は全て悪!

というふうにあさっての方に

向かってしまいます。

 

 

環境のためなら人類が滅びてもいい

健康のためなら死んでもいい

憲法9条を守って国が滅びてもいい

 

手段と目的が入れ替わってしまう

というのは、こういう倒錯した

思考に繋がる考え方です。

 

 

今回のおときた駿議員の論調も

そうですが、そのように手段と

目的が逆転してしまっている

可能性が疑われます。

 

 

ブログを読んでいる範囲では

十中八九「不寛容は間違っている」

という結論が本人の中にあり

 

それがため今回のベビーカー自粛に

脊髄反射してしまい、ブログ記事を

書いている可能性が高いでしょう。

 

 

これは議員の問題提起としては

あまり褒められたものではありませんね。

 

 

私がおときた駿議員が失敗したと考える点と今後への期待

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本来であれば

 

このように不寛容では良くないと思いませんか?

このように寛容な社会ならもっとみんなが幸せになれますよね?

皆さんいかがでしょうか?

 

ということを、具体的で一般的な

例を上げてそれを説明するべきです。

 

 

しかし、おときた駿議員は

とても一般的な状況とはいえない

人気のお寺の初詣を引き合いに出し

 

全く具体的でないゴミ言論のような

リンクを貼り付け使いました。

 

 

これは完全に間違いでしょう。

 

不寛容の問題を広く啓蒙するに辺り

明らかに正しくないやり方ですからね。

 

このような特殊な状況であれば

むしろ子供の安全のためにこそ

寛容さが制限されるような場面

であり、一般論で不寛容を語るには

程遠い状況と言わざるを得ません。

 

 

このおときた駿議員の失敗は

不寛容な社会は間違っているはずだ!

という思い込み

 

ベビーカー自粛という言葉に

脊髄反射してしまって、多角的に

物を見れなかった軽率さにあります。

 

単純に、電話一本でもお寺にかけて

「看板の趣旨とその経緯は

どのようなことだったのでしょうか?」

と聞いてみるだけでも、こんな軽率な

失敗はしなかったはずです。

 

 

別に一般人ならそれはそれで感想と

してはいいのかもしれませんが

都議会議員ということですと

このような言論はその資質を問われ

かねない内容だと思いますので

 

有権者としてはしっかりこの問題と

今後のおときた駿議員の対応の仕方を

見させていただきたいと思います。

 

 

とりあえず、ブログの最新記事で

謝罪はされていますが、謝罪した

ことは評価できるものの

 

それ以外ははっきり言って

見苦しい内容で、私的には

30点くらいでしょうか。

 

「ベビーカー論争」でご迷惑をかけたお寺に連絡・謝罪をしました。その上で、改めて伝えたいこと

 

 

今後、また何か対応されるのかどうか

引き続き確認させていただきたいと思います。

 

【関連記事】

「初詣ベビーカー」「日本死ね」騒動の共通点を並べてみたらこうなりました

 

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